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メディア論、メディア技術史、文化社会学を専攻している飯田豊(立命館大学)のウェブサイトです。
 
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テレビジョンの技術史

研究の背景
地上波放送のデジタル化が進行しつつある一方で、インターネット放送が著しい普及を遂げている現在、「テレビ」とは何かを説明することは、決して簡単なことではありません。
モノ=装置の次元において、「テレビ」は20世紀後半を通じて、ほとんどの場合、ブラウン管によって電気信号から画像を再現する受像機のことを意味してきました。しかし近年、液晶やプラズマといった薄型テレビの普及、ホームシアターシステムなどの人気にともない、ブラウン管はあっという間に、すっかり過去の技術方式になってしまいました。ワンセグを受信できるケータイの存在も忘れてはなりません。
そして、こうした技術の変化と軌を一にして、「テレビを観る」という経験の次元においても、これまでにない大きな変化が生じています。
たとえば、スポーツ中継。インターネットの動画配信によって野球を観戦するという経験は、今では珍しいことではなくなっています。また、ワンセグは現在、家庭におけるテレビ視聴を(主として外出中に)補完する役割を担っているに過ぎませんが、同時性や速報性を重視するスポーツ中継の視聴者にとっては、大いに魅力的な技術です。その反面、まるで半世紀前の街頭テレビのように、駅前広場や特設会場でスポーツ中継を観戦する「パブリック・ビューイング」が人気を博しています。各地のスタジアムでは、もともと無料で視聴できるはずのサッカー中継を、有料で集団視聴するという観戦イベントが開催されています。
したがって今日、一方ではケータイによって形成される極めて秘匿的な視聴空間から、他方ではパブリック・ビューイングによる群集的(でありながら親密的)な視聴空間まで、「テレビ」の生態系は多様性を増しており、それぞれの状況においてわれわれはまったく異なる視聴を経験しているといえます。
もっとも、1950年代の街頭テレビに限らず、80年代から都心部に遍在するようになった街頭ビジョン(屋外大型ビジョン)は、群集的なテレビ視聴を前提として設置されたものですし、より日常的には、飲食店やデパート、駅の構内や病院のロビーなどに設置された受像機が、家庭とは異なる視聴空間をいち早く形成していました。しかし、「テレビ」とは何かを語ろうとするとき、こうした視聴のあり方はあくまでも副次的なものとして、これまで充分に検討されてこなかったと言わざるを得ません。この看過はまさしく、家庭で聴くラジオ放送の延長線上に「テレビ」が誕生したとする、狭義の「放送(局)史」の歴史認識を裏打ちしています。
しかし、「テレビ」を取り巻く近年の地殻変動は、その草創期から今日までを丹念に見通すことで初めて、より広い歴史的構図のなかに位置付けることができるはずです。
「テレビ」を取り巻く状況が大きく動揺したゼロ年代、「新世紀」や「テレビ五〇年」といった「節目」に後押しされるかたちで、その歴史の編み直しは顕著でした。ある年齢に達した放送人が現場の経験を回顧・証言した類の「自分史」の出版も目立ちました。テレビの歴史をさまざまな観点から整理して編み直すことは、情報化、デジタル化の波にともなう業界の構造変化を逆照射するうえでも必要不可欠な作業であり、今後も多様に展開していくことが望ましいといえます。
ただし、これまでに書かれた「テレビ」の歴史は、多くの場合、「放送」というコミュニケーション形式の作動原理を前提とする、いわゆる「放送史」の認識枠組みのなかでテレビの歴史が跡づけられるか、あるいは大量の情報を大衆に伝達するコミュニケーションの歴史、すなわち「マス・コミュニケーション史」の構図のなかにテレビが位置づけられている点で、明らかな限界を垣間見ることができます。「テレビ」を取り巻く状況は今、「放送」や「マス・コミュニケーション」という概念の枠組みを、すでに大きく逸脱しているからです。
テレビをめぐる思想は元来、必ずしも放送局によってのみ一元的に創出されたものではありませんでした。たしかに日本のテレビは、その揺籃期からラジオとのアナロジーで語られ、やがて国家的にも産業的にも、ラジオに準拠したニューメディアとして枠付けられていったわけですが、その端緒からラジオを存立させている放送制度や受容パターンだけを外挿して展開していったわけではありませんでした。
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研究の目的
そこで僕は、昭和初期のテレビジョン技術史を辿ることによって、その過程において、いかなる視聴空間の可能性が模索されてきたかを明らかにしてきました。われわれの生活に根ざした「テレビ」というメディアについて、「放送」や「マス・コミュニケーション」といった概念との関わりを自明とせず、その成り立ちを根源的に問い直すこと。具体的には、「テレビ」の定時放送が始まる以前、博覧会や展覧会、百貨店の催事場などで、受像機の公開実験が人気を博していた1930年代に焦点をあてています。
前述したように、日本におけるテレビ受容史の始原として広く知られているのが、1953(昭和28)年に登場した街頭テレビです。しかし当時でさえ、人の集まるところに受像機を置き、その映像を公開するという発想それ自体は、決して目新しいものではありませんでした。戦後にNHKがテレビ受像機を初めて一般公開したのは1948(昭和23)年6月のことであり、これを皮切りに本放送が開始されるまでの約5年間、おもに都内の百貨店において繰り返しテレビ受像の様子が公開されていました。
それどころか、ラジオの全国放送網が成立する1928(昭和3)年ごろから、実用化を目指して研究が進められていたテレビジョン技術が、実に多様なやり方で、繰り返し一般に公開されていました。「テレビ」の歴史を振り返るにあたって、定時放送の開始に先立つ出来事が顧みられることは今日ほとんどありません。しかし、「テレビ」という略称がまだ定着していないこの時代、「テレビジョン」という技術の社会像がいかにあるべきかが真摯に問われていたのであり、公開実験という具体的な「場」に着目することを通じて、さまざまな期待や思惑が交錯していたことが見えてきます。
街頭テレビとはそもそも、盛り場に恒常的に大型テレビを置いて人を集め、その広告価値を認識させるための仕掛けであした。それでは、戦後の街頭でテレビ放送を目の当たりにする以前にも、人びとがテレビジョンと出会う契機が用意されていたとすれば、そこには一体どのような期待や思惑が込められていたのでしょうか。端的にいえば本研究では、テレビジョン技術の公開実験という営為に照準を向けることによって、日本のテレビ受容史の始原を、街頭テレビが登場する1953年から四半世紀ほど押し戻すことを試みたわけです。
「テレビジョン」は20世紀後半、「テレビ」へと収斂しました。その「テレビ」のあり方が、いま再び、拡散しています。いくつもの「テレビジョン」が、ひとつの「テレビ」に収斂していく過程を辿ることは必ずしも、今ここにない姿を過去から直截に呼び戻すことが目的ではありません。そうではなくて、「テレビ」をめぐる制度、産業、あるいは文化に関わる社会集団の立ち位置が――そして「視聴者」という存在も――大きく揺らいでいる今だからこそ、より広い視座のもとでそれぞれの足下を照らし出すこと、その足場を歴史的構図のなかに布置することが重要ではないでしょうか。

研究の成果

本研究の成果は、以下の論文でご覧いただけます。